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永坂更科 布屋太兵衛 : ミニ英和和英辞書
永坂更科 布屋太兵衛[えい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さか]
 【名詞】 1. slope 2. hill 
: [か]
  1. (n,n-suf) department 2. section 
: [ぬの]
 【名詞】 1. cloth 
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy

永坂更科 布屋太兵衛 : ウィキペディア日本語版
永坂更科 布屋太兵衛[えい]

永坂更科 布屋太兵衛(ながさかさらしな ぬのやたへえ)は、東京都港区麻布十番一丁目にある1959年昭和34年)創業のそば屋店舗
== 概要 ==
「永坂更科 布屋太兵衛」の屋号は、江戸の麻布永坂町で、布屋太兵衛という人が、更科そば屋「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」を開業したことによる。この布屋太兵衛の本名は堀井清右衛門といい、現在の「更科堀井」の初代である。
1789年寛政元年)、信州出身で信州特産晒布の保科家御用布屋だった八代目清右衛門が、保科家の江戸屋敷傍の麻布永坂町に、そば屋「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛(現・「更科堀井」初代)」を創業した。その後、大名屋敷寺院などに出入していたが、明治時代半ばの最盛期には、皇室宮家などにも出前を届けた。
関東大震災昭和初期の国内外の恐慌等の影響を受け、1941年昭和16年)に廃業となった。その後、1949年(昭和24年)、七代目堀井松之助、妻きん、麻布十番商店街の小林玩具店の小林勇(現「永坂更科 布屋太兵衛」初代)、麻布十番商店街の組合長木村政吉により伝統の暖簾を再開。その後、1959年(昭和34年)、初代小林勇によって「永坂更科 布屋太兵衛」が設立された〔岩崎信也著、『蕎麦屋の系図』、「更科の系図」、光文社、2011年7月20日、国立国会図書館蔵書、2016年2月20日閲覧。〕。よって、「更科堀井」一門とは別の経営である「永坂更科 布屋太兵衛」が寛政の初め創業と謳っているのは誤りである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「永坂更科 布屋太兵衛」の詳細全文を読む




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